大里田植踊り保存会
一時途絶えた豊作祈願の舞 復活させ地域のきずな深め
大里田植踊り保存会
田植踊りの起源は奈良時代にさかのぼります。
紀州熊野から室根神社を勧請した際、室根山の中腹に「農王社」が建立され、神事を行った周辺を「田植の壇」と呼びました。
村人は、旧正月に農王社の社前で田打ち・耕起のまねをしたり、松葉の芯などを雪の上や土壇に挿し、田植のまねをしたりして、豊作を祈願しました。
これが次第に芸能化され、今の田植踊りになったといわれています。
室根町の大里田植踊り保存会(熊谷保治代表、会員10人)は昭和50年に組織され、田植踊りの伝承活動に取り組んできました。
同会は、後継者不足のため一時期活動を中断しましたが、一昨年、子供会で取り組もうと、当時子供会育成会長だった加藤幸代さんから指導の依頼があり、活動を再開。「子供のころに近所の友達が田植踊りをしているのを覚えていて、その子供たちが親となった今、一緒にやってみたいと思った」と加藤さん。
保存会の熊谷代表の「地域の芸能を子供たちに教えたい」との思いが重なり、伝承活動が復活しました。
小学生7人が月2回、定期的に地元の地区会館に集まり練習に励んでいます。
田植踊りは弥十郎、カッコ、下座(歌あげ)、笛吹で構成され、子供たちは弥十郎とカッコを担当。
「年の始」、「お正月」など9つの曲目を順に教わると、子供たちは練習を重ねるごとに上達。
昨年8月開催された両磐民俗芸能祭が、初披露の場となりました。
その後、地域の敬老会でも演技し、子供たちも楽しさを実感しています。
「他の地域でも田植踊りはあるが、口伝えなので、その地域独特の魅力ある踊りとなっている。皆で取り組んだ練習や発表会を通して、“大里田植踊り”が楽しい思い出となってもらえれば」と熊谷代表。
今年で2年目となる遠藤淳史君(室根東小4年)は「曲目が増えるにつれて覚えるのが大変だった。体の動きも自然になってきたが、声を出すところが難しい。やっていて楽しいので、これからも続けたい」と意気込みます。
現在は4月下旬、蟻塚公園を会場に催される郷土芸能春まつりの出演を目指し、練習に励んでいます。
練習会場の大里地区会館からは唄に合わせた笛や太鼓の音色がもれ聞こえ、熱の入った練習がうかがえます。
(広報いちのせき 平成22年4月1日号)